絵の話2
【あらすじ】
高校がガチめの高校でビビった
もちろん私は困った。
パースとか奥行とか楕円とか今まで知らんかったし、描こうとも思わんかったて。
実をいえば鉛筆のHとBの違いさえも分からなかったし。
軸?なんだそりゃ…………
白い卵なんてどうやって描くんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!白いじゃねーかよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
入学前から画塾に行ってて〜〜とか、昔から油絵描いてたんだ〜〜とか言う人もいた。怖い。
「絵を描く」といっても何か世界が違って、自分のいる場所が間違ってるように思えた。
1年の前期は、褒められもせず、かと言って酷評食らわせられるわけでもなく(?)、居るのか居ないのかわからんくらいのレベルで過ごしていた。
そういうのが結局一番辛い。
居場所がないというのは、いつでも苦しいことなんだろうね。
悔しかった。
高校間違えたかも………って思った。
実技はできないまんま、実技を理由にして自分の絵描いてなくて、何も出来ていない事に腹も立った。 今もそうなんだけど。
夏休みが終わって、後期から石膏像とかいう白い像を描く事になった。
鉛筆ではなく木炭を使ってだ。
ますます意味が分からなかった。
食パンが消しゴムだし、めっちゃ黒乗るし、いきなり知らんおっさんとかを描くのはなんで??ておもった。
パンの耳は美味かった。要らないので毎日食ってた。
強制的に描くものがひとつになった。
それにより、空間性の表現に大切なパースとか遠近感が少なくなったり、画面に収めるためにデスケル(画面と比率を合わせた枠)などのちゃんとした道具を使い出したのもあって、前よりかは上手にかけるようになった。
今思えば「描く」のではなくて「測って」いたんだけど、それしかなくて必死だったなあ。
でも、多分測る事が、今の「観察」に繋がっているんだろう。
きっとね。
それはそれとして、なんとかして追いついて、2年間を過ごした。
デッサンコンクールとかいうもので1番を取ったりして、嬉しかったけれどすごく怖かった。
なんで怖かったんだろう。違う、って感じた。
1番とか、そういうのいいから、上手になって自分の好きな物を楽しく気楽に描いていたいと思うようになった。
3年になって、実技の先生が新しく入ってきた。
本当にお世話になった。
基礎から、道具の使い方から、色んなことを教えてもらった。
たくさん相談にも乗ってもらえた。
受験期は毎日作ることと向き合った。
夜遅くまで、頑張ったと思う。
眠いのは辛かった。
正直そんなに苦しくはなかったけど、ただ、楽しくいることは忘れないでいた。
私が作っているのは、私を含めた人を楽しませるためにあるもので、そうじゃなきゃ意味がない、何のために今ここにいるんだと思っていた。
そうして、大学生になって、よっとこよっとこ毎日作っている。
結局絵は、好きだけど嫌いでもない。
空気でも水でも光でもない。
ただ私の隣にあって、でも掴めなくて、なんだろうね、絵は絵だよね。
私の中にはいないと思う。
でも、「作る」ということは「生きる」ことで………生きているから、自分が感じたことを表すことが出来て、手を動かすことが出来る。
描いてる時にハマると、私生きてるな〜〜〜〜って嬉しくなるんだ。
今はこう思っているけれど、五年後、十年後の自分はどう思っているんだろうか。
楽しく何かを作っていたら、嬉しいな。