休戦日
ここ数日は本当に色んなことがあった。
最初は凄い不安だったけれど、何とかなった。よかったよかった。あーよかった。
東山魁夷を見ながら寝落ちて始まった休みもあっという間に終わってしまった。
友達と一緒にご飯も食べに行けたし、好きなテレビ番組も見れた。散歩もできた。
何より「暇」という概念を久しぶりに感じられた。嬉しかった。暇ってこんなに暇なんだな。
実は休み明けの今日になって、私はかなり、凄くめっちゃくちゃに浮かれている。
定期忘れたし、家の鍵も忘れた。寝坊もした。
けれどミックスジュースが美味いのでチャラになった。そういうところだぞ。
私はこの、忙殺された日々の合間にある、なんとも言えない喜びがある休みが大好きだ。
だって第一に休みだ。嬉しい。
何をしてもいい。
何かに追われることも、自分で自分を追い詰めなくてもいい。これは凄くハッピーな事だ。
このために生きている人も少なくはないのではないか。
休みは大好きだけど、長いと逆に、不安を感じる時がある。
例えば夏のある日、食卓に座って、みんなと一緒に素麺を食べる。
その時、ちょうど玄関に続く廊下と、その先にある小さな窓が、私の視線と一直線に並ぶ。
夕日が沈んだ後の、夜になる一歩手前、瑠璃色の彩度を下げた感じだろうか、そんな色が小窓にあるのだが、私はいつもそれに得体の知れない不安を感じずにはいられない。
そんな不安が何年も何年も夏が来る度にやってくる。
素麺をみんなで食べる時に限ってだ。
見られている気がする。嬉しい夏休みなのに、たるんではいないか、休みだからといって怠けてなどいないか、休み明けのことを不意に思い出したり、もう2週間もあっていないクラスメートのこと…
そんな現実が見ている。
その現実は他でもない私から生まれたもので、結局私は私を追い詰めている事になる。
共通した認識として、日曜日にサザエさんを見ることや、ヒグラシの鳴き声を聞くことや、梅の花が咲く時、餅つきの出来上がり前、どうしても哀愁を感じるのは、そんな自己脅迫が少なからず発生しているからではないだろうか。
長すぎる休みは良くない。
土日くらいならなんとかなる。
それ以上は怖い。休みが怖い。
不思議な話だなあ。