寂しがりな話
梅雨になって、傘を持ち歩くことが多くなった。
雨は、苦手だ。
青空が見えないから。
夜も、嫌いだ。
寂しくて怖いから。
私は凄く、とっても、寂しがりだ。
だから絵を描いている。
だから困った。
コミュニケーションのことだ。
前も書いたように、デザインというのはコミュニケーションだ。
誰かに、意図を理解してもらって、生活を豊かにしたり、便利に快適にするためにある。
つまり、相手のことを考えて作るものなんだ。
大きなことに気付いた。
自分に、相手の事を考えてものを作ったことが無かったこと。
ずっと自己満足で絵を描いていたこと。
ファイン系の道なら別にそれでもいいのかもしれないけれど、デザインで相手の事を考えないのは致命的だと思う。
呆れて笑ってしまう、自分は、まだ何もできてなかったんだ。
大学に入った「だけ」なんだ。
今気付いて本当に良かったと思う。
今回の課題は3週間のカリキュラムだったが、実際は1週間ごとに講評がある内容だった。
1週間目は、自分に無意識にあった観念または盲目を無くしてものを見ること。
2週間目は、1週間目に集めた情報をまとめること。
そして、3週間目は、集めた情報を活かして作品を作ること。
1、2週間目は何とかなったが、3週間目でやられた。
浅はかにものを作ってしまった。
作品を作ることは、何かを伝えることなんだ。
伝えたいことがあるから、ものを作るんだ。
ただ作るんじゃダメなんだ。
だから、私は何を伝えたいのか、最初にはっきりさせておかないといけなかったんだ。
私は何を伝えたいんだろう。
別に世界が平和になってほしいとか、地球温暖化を止めようとか、そんな大層なものじゃなくて。
今日の空は綺麗だったとか、ご飯が美味しかったとか、楽しいことがあって、
そんな何気ない些細な事でも……嬉しくて幸せな気持ちになれるんだって、
当たり前でも、普通でも、寂しくても、生きているだけで既に充分幸福なんだって、
それでは、駄目なんだろうか。
もっと難しい事じゃないと駄目なのかな。
浅はかすぎるかなあ。
分からないけれど、先生はデザインをするという行為を、本当に最初から教えてくださったのだと思う。
だから、自分の足りないところが浮き出るように分かったのかもしれないな。
先生って凄いなあ。
でも、「ようこそ」って言われたのは怖くてたまらなかったなあ。
持ってるものが少なすぎて、ようこそどころじゃなかったからね。
自分に足りないもの。
誰かに何かを伝えたいという気持ち。
作品を作る動機。
それを伝える力と知識。
人としても、まだまだ、学び足りないことばかりだ。
でも嬉しい気持ちなのはなんでかなあ。
頑張りたいな。
頑張れるかな。
やっぱり、少しだけ、怖いなあ。